傷寒論の四逆散の条文や様々な日本の解説書を読んでも、どんな努力をしても、小生の日本古方派時代の十年以上は空しい努力であたことは既に述べた。
結局は理論体系化され、基本用語の豊富な理詰めの中医学を学ぶことによって、四逆散の方意を把握し、実際の応用が可能になったのであった。
その後、四逆散のみならず傷寒論や金匱要略などの重要な古方の漢方処方を理解するに当たって、さらに重要なヒントを得られたものに、陳潮祖先生の『中医病機治法学』の次の一節であった。
依法釈方〔治法にもとづいて方剤を解釈する〕
依法釈方は、方意を分析するときの、治法と方剤の相互関係を指す。
現在、方意の分析において二種類の異なる考え方がある。一つは「以薬釈方」〔薬物の方向から方剤を解釈する〕と、もう一つは標題に掲げた「依法釈方」である。
まず、以薬釈方について言えば、方中の薬物の効能と君臣佐使の配合関係を中心に解釈するものであり、病機と治法を分析することがあっても詳しくないことが多く、これを持論とする立場では、方証〔方剤の適応証〕の分析は方剤学の重点ではないとされている。
依法釈方では、まずその方剤が適応する症候の病機を分析解明したのちに、治法にもとづいて方剤を解釈してはじめて、薬物の効能を病機と治法に結びつけて、その方剤が組み立てられた理由を正確に理解することができるとする立場である。古方はすべて歴代の医家が理と法にもとづいて処方したものであるから、理法を関連づけた方意の解釈によってはじめて、立方時の主旨に沿えるという訳である。
以上二つの考え方において、筆者は依法釈方が以薬釈方よりも優れていると考えている。調気疏肝の四逆散を例にすると、原著では「少陰病、四逆し、その人あるいは咳し、あるいは悸し、あるいは小便不利し、あるいは腹中痛み、あるいは泄利下重するとき」に適応するとされ、四逆散の適応症を「あるいは」として五つの症状を挙げているが、これらのどの症状も各臓それぞれの病理変化が反映したものであり、肝気鬱結によって筋膜の柔和を失ったため、気血津液が失調して五臓の病変を誘発したときに本方が適応する、と解釈できる。この場合に、薬物の効能と君臣佐使だけで方意を分析すると、腹痛に対する説明はできても、その他の諸症状に対する適応を説明できそうもない。
このように、依法釈方によってはじめて古方の神髄を把握し、選薬処方の奥義をつかみ取ることができ、また、方剤が体現する治法を知ってはじめて、治法にもとづいて方剤を選択することができるのである。(以上の訳文は本ブログの投稿者)
以上は四逆散を理解する上での重要なヒントになるばかりでなく、真武湯や茵蔯蒿湯など少ない薬味で応用範囲が極めて広い方剤を理解するうえで、大きなヒントとなるはずである。