四逆散は「しぎゃくさん」と読む。
前回、四逆散を書いたものと一部重複する内容になるかもしれないが、もう一度強調しておきたかったことは、日本古方派漢方を信奉していた初期の10年間、傷寒論をはじめ、あらゆる日本漢方系の先人の書籍類を紐解いても、一向に四逆散の方意が理解できなかった、ということである。
それだけアホっと言えるかも知れないが、何と言っても理屈と現実がマッチしてくれないし、第一、日本漢方をいくら勉強しても、屁理屈でもいいから、何とか理屈で教えてもらえないかと、悶々とするばかりで、やはり自分には才能がないのか、という自虐的な悲観論に向かった訳ではない。
次第に日本漢方におけるアヤフヤさ、意外に基礎理論があまりにも脆弱なことに気がつき始めていただけに、中医学基礎を曲がりなりにも理解できた時点で、中医方剤学の四逆散を覗いて見たら、何のことはない!
肝気鬱結・肝脾不和の病機に適応するものですよ、と書いてある。
また、それ以前にも、肝気鬱結に対する代表方剤は、四逆散であることが、多くの中医基礎学において記載されてもいた。
この肝気鬱結の原因については、
肝気鬱結の原因について
にも記載があるが、そこでは方剤として四逆散のほかにも、逍遙散・丹梔逍遙散〈加味逍遙散)、または抑肝散類や竜胆瀉肝湯などがあげられている。
しかしながら、今から10年前とは異なって、昨今はもっぱら四逆散が適応する真正?鬱病系統の若い男女の御相談を受ける機会が頻繁である。
四逆散以外の方剤をあまり使用しなくなった理由は、親子で何とかしなくてはと思い立って、やや遠方にも関わらず、真剣な御相談を持ち込まれるケースに四逆散の適応証の人が多いからだと思われる。
日本漢方を信奉していたころに、あれほど使用していた逍遙散や丹梔逍遙散〈加味逍遙散)は、そのチャンスが減る一方であるが、これは医療用であれ、一般薬局でアレ、どこでも手に入るているから、そのタイプの人が、当方には訪れなくなったということも考えられる。
四逆散タイプは内向的タイプで、もっぱら鬱状態がメインで躁状態になることは稀なようであり、丹梔逍遙散〈加味逍遙散)は、鬱状態のみならず躁状態も見られ、日毎に体調が異なるのみならず、一日の間でもクルクルと訴える症状が変転めまぐるしいなど、いわゆる血の道的要素が強いので、直ぐに区別がつくものである。
あきらかに、四逆散は真面目系の老若男女に適応する場合が多いようである。
その他、鑑別としては半夏厚朴湯や甘麦大棗湯などと紛らわしいこともある。
また重要なことは、本方適応の場合でも、単純に四逆散の基本方剤だけで十分という人ばかりではないので、さらに別の方剤も併用する必要があるのかどうか、その判断こそ腕の発揮しどころだと思いますよ。